MUSICIAN


2013年の夏頃、たまたまYouTubeを通じて歌声を聴き、私は西城秀樹という歌手に、とても強く魅かれました。その歌唱技術の確かさに加え、エンターティナーとしてのパーソナリティーを備えた、真のアーティストであることを知りました。またそれに気付くのが遅かったとも思っています。同年秋、2度の脳梗塞を乗り越え、何とか歌声をファンに届けようとする彼の公演に足を運び、生きることの勇気を得ました。西城秀樹という存在の大きさを、このページで私なりに、少しでも紹介することが出来ればと思います。



忘れもしません。私が30歳になる1ヶ月前のこと。2010年06月30日の深夜、私は出版社に送る小説を仕上げる作業に、徹夜で追われていました。ちょうど締切の日でした。同じ深夜、パク・ヨンハは世を去りました。自死でした。朝7時半頃、何気にテレビをつけ、彼の死の第一報を耳にしました。数日後、大久保に設けられた献花台へ行き、それから彼のCDやDVDを集め、「冬のソナタ」でサンヒョクを演じた役者ではなく、初めて「歌手」としての彼を知ることになりました。以後、彼の音楽は、私の人生を大きく変えました。



地元の沖縄から、大学進学で大阪に移り住んだ、ちょうど2000年頃。井上陽水の「GOLDEN BEST」というアルバムが流行っていました。私も、このアルバムをきっかけに、彼の音楽に触れるようになりました。それほど深入りはしませんでしたが、とりわけいくつかのアルバム、および作品を、当時の私は随分と聴きました。いつも自然体で、かつその余裕の中に、ポーカーフェイスで鋭い緊張感を忍ばせる、人間的にも興味深い人ですが、そうした彼の個性豊かな音楽について、あれこれ考察してみたいと思います。



10代の頃、ずっと気になっていたグループでした。私は12歳(1992年)頃から、地元のFM放送を聴いていましたが、時折り耳にしていた曲が、カルロス・トシキ&オメガトライブの「君は1000%」でした。その彼らの解散コンサート(1991年)のライヴアルバムを、19歳(1999年)頃、たまたま当時、中古品で手に入れ、それ以後、過去のCDやLPを集め始め、彼らの音楽を聴き続けてきました。今回、このページを通じて、みなさんに彼らの音楽を思い出してもらえたら、或いは新たに興味を持って頂けたらと思います。



1996年、16歳だった当時の私は、さだまさしや小椋佳のLPを、地元(沖縄県那覇市)で集めていました。牧志(那覇市の中心部)の裏通りにあった小さな古本屋に通い、沢山のLPを手に入れましたが、その中でジャケットに魅かれて購入したのが、小堺一機のアルバム「The Next Door Boy」、「Some One Like You」でした。彼は1986年から1995年までの10年間に、9枚のアルバムを出しています。それらは私にとって、とても大事な宝物でした。今回、そうした彼の音楽について、少し振り返ってみたいと思います。



1993年、当時まで勤めていた第一勧銀を自ら退職し、大学に通いつつ、コンサート活動をしていた小椋佳。1995年頃、彼のアルバム「ReBEST」のカセットテープを人から譲られ、学校にも行かずに、日がな一日、そればかりを繰り返し繰り返し、明けても暮れても聴いていました。 コンサートに行き、過去のアルバムを集め、20代の半ばを過ぎる頃まで、彼の歌声は、まさに私の青春のBGM、そのものでした。これまでしばらく、彼の音楽から距離を置いてきましたが、ここで再び、懐かしく聴き返してみたいと思います。



1993年7月26日、日本テレビ「いつみても波瀾万丈」という番組の放送を通じて、私はさだまさしという人物を知りました。以来、約10年間、彼の音楽に深く触れました。当時の私は、彼に本当に傾倒していましたし、その歌声は、まぎれもなく私の青春、そのものでした。ですが、ちょうど20代も半ばを過ぎた頃、もう彼の音楽を聴くのも何も、全てやめようと距離を置き、以来、現在まで触れないように過ごしてきました。ですが、いわば私自身の血肉でもある彼の音楽について、ここで私なりに述べてみたいと思います。



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